おりがみ


御茶ノ水のおりがみ会館に行ってきました。

おりがみを含む紙文化の振興をしている会館です。母体は世界で初めておりがみを製品化した小林染紙店です。会館の4Fには、和紙を染める工房があります。

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おりがみ会館

一階はギャラリーになっていて、おりがみや和紙の細工の季節のお花や麗しいお人形がずらりと並びます。こんなものまで、おりがみで創ることができるのかと感嘆することしきりでした。

作品を見ていて、子供の頃、明治生まれの曽祖母が折りにふれてプレゼントしてくれた和紙の紙人形を思い出しました。当時その愛らしさが理解できなかったのですが、おりがみ会館の色とりどりの素晴らしい和紙を見て、本当に勿体ないことをしていたなと感じました。

おりがみの歴史

今では海外でも知的な遊びとして人気のおりがみですが、日本の歴史上、確認できる一番古い記述は平安時代末期に藤原清輔が紙を折って蛙のようなものを作った事です。

(彼の『清輔朝臣集』に記載があるのは間違いないようなのですが、今回該当の箇所は見つけることができませんでした。)

鎌倉時代には、高貴な人々が太刀などの贈り物をする際、目録として折り紙をつける習慣がありました。これは現在でも保証付き、由緒正しいという意味の「折り紙付き」という言葉として残っています。

室町時代には紙を折ること儀礼作法の一つになり、小笠原流・伊勢流・嵯峨流などの流派に分かれて発展しました。

一方、紙が身近になるにつれて遊びとしてのおりがみも徐々に広まり、江戸時代には庶民の間にまで普及しました。井原西鶴の書いた『好色一代男』という物語の中にも折り紙をする場面があります。

現代の私たちに一番身近である鶴が折り始められたのも、江戸時代の事です。伊勢国桑名長円寺の住職、魯縞庵義道一円(ろこうあんぎどういちえん)という方は、一枚の紙に切り込みを入れて、ひとつにつながった49羽の鶴を折ることができたと伝えられています。

紙の大衆化

6月17日のブログで、園芸について調べると江戸時代の出版業の隆盛を感じると書きました。出版の隆盛にもおりがみの庶民への普及にも紙の大衆化が背景にあるはずですので、両方の事象が揃って江戸時代に起こったのは納得がいきました。

紙の大衆化の歴史についても今度調べてみたいなと思います。

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