辻占煎餅とフォーチュンクッキー


辻占煎餅をいただきました。辻占煎餅とは江戸時代後期から作られている占い紙入りの煎餅です。米国の中華料理店で貰えるフォーチュンクッキーは辻占煎餅から派生したものといわれています。

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AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」という歌や、米国ドラマで登場人物がフォーチュンクッキーを割る場面が出てくるのでご存知の方は多いのではないでしょうか。

ニコニコ動画では「恋するフォーチュンクッキー」を古語訳した「恋ひたる辻占煎餅」なんて替え歌もあり大人気のようです。

辻占(つじうら)

そもそも「辻占」とは、古代の世俗の占いの一つでした。黄楊(つげ)の櫛を持って夕刻の辻に立ち、道祖神に祈りながら歌を誦し、散米し櫛歯を鳴らすなどした後、最初に通りかかかった人の言語で吉凶を判断するというものでした。同種のものに「道占」があります。

辻占は近世後期に「聞く占い」から「読む占い」に変化しました。

辻占煎餅とフォーチュンクッキー

明治期に日本の考古学発展に貢献した動物学者エドワード・モースは、東大で動物学を教える一方、日本の風俗にも大きな関心を示しました。著書『日本その日その日』では国内の様々な事物に触れています。

その中に、辻占煎餅に関する記述があります。

「米国にもあるが、日本にはある種の格言を入れた菓子がある。112図は三角形の菓子の中にはいったものを示す。これは糖蜜で出来ていてパリパリし、味は生薑のはいっていないジンジャースナップ[生薑入りの薄い菓子]に似ていた。格言を意訳すると「決心は巌でも徹す、我々が一緒になれぬことがあろうか」となる。これを訳した團氏は私に、これ等の格言が普通恋愛や政治に関係があることと、これは昔から行われつつあることとを話した。私は子供の時米国で、恋愛に関する格言を入れた同様な仕掛を見たことを覚えている。」

モースは1838年生まれですから、日本の江戸末期にあたる頃すでに米国でも辻占煎餅と似たものが存在したことがわかります。

『辻占の文化史』という著書の有る歴史民俗資料学博士の中町泰子氏は、フォーチュンクッキーの起源はやはり「辻占煎餅」であり、明治期にサンフランシスコに渡った萩原眞氏が現地で製造していたとしています。

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