生活のなかの美


『美と礼節の絆』(池上英子著)を読み返していたら、最後のページで著者のお母様とその姉妹の方に触れられていました。

お二人は戦中戦後を生き抜いた世代でしたが、生き難い生活の中でも茶道や生け花など生活のなかに美を取り入れることをごく自然に身に着けていたいうのです。

またこの著作じたいも、生活に一生懸命でありながら、それでもさまざまな形で暮らしを美しいものにしようと努力し、またそこに楽しみと社交の道を見出してきた無数の人びとの歴史へのトリュビュートとしたいと作者は書かれています。

私は茶道やいけばなが好きでお稽古をしています。

おそらく殆どの現代日本人より、茶道やいけばなが身近だと思うのですが、このお母様やその姉妹の方のように生活のなかに美をごく自然に取り入れているだろうか?と自問してしまいました。

「和の美」の特徴の一つは「用の美」であるという説を読んだことがあります。

例えば、西欧の貴族文化では芸術と小芸術は明確に分けられていて、「芸術」は権力のための芸術・芸術のための芸術(芸術至上主義)であり、どんなに美しいものであっても生活用品や用途のあるものは小芸術なのだそうです。

一方、「和の美」にはこのようなジャンル分けはありません。今では芸術として扱われる平安時代の詩歌や文学ですが、当時の貴族にとっては芸術であると同時に、生活そのものでした。また、 今日、博物館や美術館で国宝として見られる屏風や掛け軸などの工芸品も当時の人々にとっては生活の中で用途のあるものでした。

「用の美」は現代のインダストリアル・デザイナーの柳宗理氏が唱えたもので、平安時代の和歌や屏風を「用の美」と表現するのは「用の美」という言葉の意味をちょっと広くとらえているのではないかなとも感じるのですが、たとえ国宝として扱われるものだとしても、生活の中の道具であるというのが「和の美」の伝統的な特徴であるというのはとても納得しました。

日本人の伝統的な意識としては「美」は生活の中にごく自然に取り入れられているものだったのかもしれませんが、現代日本の生活を見てみると「美」は特別なものになってしまった気がしてなりません。

「美」を生活の中に取り入れるというより「美を消費すること」がイベント化してしまっているといいましょうか。

「芸術」という言葉はもともと中国の古い歴史書(『後漢書』)にありますが、現代に近い意味で使われ始めたのは明治時代からです。「芸術」という明治の殆どの日本人にとっては初めて目にするであろう言葉をartに当てはめてたことが、「芸術」を特別扱いしなければならないという意識の始まりかもしれないなと個人的には考えています。

茶道やいけばなのお稽古をする人はだんだんと減っている理由の一つも、この「美」の取り入れ方の変化なのではないかと感じています。

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