いけばなは誰のもの?


いけばなのお稽古をしていますと言うと、女性らしい趣味ですねと言われる事がままあります。ですが、実際は鉈で青竹を割ったり、雑木の山に登って作品の材料を採取したりとなかなかワイルドな経験もしてきました。

いけばなは女性のもの? 

日本の伝統文化というと、茶の湯と並んでいけばながよく挙げられます。しかし現代の日本では和菓子を食べたことがない人は少ないけれど、お花をいけたことのない人は結構いらっしゃるかもしれないと感じます。

また、いけばなはもともと男性がするもので、女性が大きな役割を担ったのは明治時代以降なんですよというと驚かれる方が多いです。

いけばなの起源と発展

いけばなの起源については、いろいろな説がありますが、一般に仏教とともに伝来した仏前の供花(くげ)にあるとされています。また、神を招く依り代として常緑樹を立て、花を飾った日本古来の習俗から来たものとする説もあります。

現在の私たちが考える「いけばな」は室町時代中期の東山文化の下で発展しました。足利将軍の居館には「同朋衆(どうぼうしゅう)」と呼ばれる芸術集団の一種ともいえる人々が仕えており、彼らの中から、いけばなに特に優れた才能を発揮する立阿弥・文阿弥などが現れました。中世の話ですから将軍に仕える同朋衆はもちろん男性です。同朋衆のかなりの部分は時宗の僧侶出身であったと考えられています。また同朋衆と並行して池坊専慶と言う立花の名人があらわれます。

明治維新といけばな

この後、明治維新まで、それぞれの時代の変化に影響を受けながらいけばなは大いに栄えていきます。ところが、西洋のものを積極的に取り入れ始めた明治初期に入り、いけばなは勢いを失います。

そこで明治政府が婦女子教育の一環としていけばなを推奨するようになると、人々のいけばなへの関心は回復し、また、この政策によって男性中心だったいけばなの担い手が一般の女性に移ることになりました。

いけばな=女性のものというイメージは、いけばなの長い歴史を考えるとごく最近のものなのです。

また、いけばなは生ものを材料に作品を作るので、決断力・迅速な判断力が不可欠です。これらは従来男性が得意とされてきた能力ですよね。

【編集後記】

先日、私がお稽古でいけた作品です。

20160314

[花材]東海桜、アイリス、ナデシコ

東海桜の線を活かそうと思っていけました。

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