江戸の園芸 庶民の力


先日、六義園を訪れた時見事なツツジを見ることができました。

六義園においてツツジは造園当時(元禄年間)から松や桜と並び主要な植物とされてきたそうです。

現在、六義園内にあるツツジは造園当時の元禄・享保の江戸園芸隆盛期に起源をたどることができ、園芸文化の継承という点でも六義園の重要な財産となっているとのことです。

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日本人は園芸好き

幕末に日本を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日本人の園芸好きがあります。

1860年に来日した英植物学者のロバート・フォーチュンは日本人はたとえ下層階級でも花好きであり「もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。」とまで表現しています。

また、トロイア遺跡を発掘したとされるハインリッヒ・シュリーマンは1865年に来日し、道を歩きながら庶民の生活を観察し「家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。」と評しています。

庶民の力

江戸の園芸について記そうと思ったら、とても一日の記事では足りません。

ただ、江戸の園芸について調べて一番印象に残ったのが、幕末に日本を訪れた外国人が驚いたように、江戸では園芸が知識階級だけでなく庶民のものでもあったことでした。

染井(豊島区駒込)・巣鴨は世界一の植木屋集中地帯だったそうですし、染井村で植木屋を営んでいた伊藤伊兵衛三之烝とその子・政武は実用書を何冊も出版しました。

例えば元禄5(1692)年に三之烝は松会三四郎の店からツツジ・サツキの図説書「錦繍枕(きんしゅうまくら)」を出版します。これは世界最古のツツジ・サツキの専門書であるといわれています。

書物の出版が知識階級ではなく庶民の植木屋によってされ、その書籍の読者として庶民が想定されている(図が入り文章が平易)ことは世界的に見ても稀な現象だったのではないでしょうか。

また、こうした書物が出版され流通することの背景に江戸時代の出版業の隆盛を感じます。江戸時代の出版業を支えてたのも庶民の力でした。

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