一昨日のブログで取り上げた企画展「雨を感じる」について、今日は展示されていた文学を取り上げます。
雨と文学
企画展「雨を感じる」では雨を描いた文学も取り上げられています。
- 清少納言『枕草子』
- 永井荷風『花より前に』
- 夏目漱石『それから』など 7作品
また、取り上げられた文章を掲載した書籍がコーナーに並べられ購入することができました。
装丁も美しい本ばかりでした。
九月ばかり
私が特に心惹かれたのが次の清少納言の『枕草子』の一節です。
九月ばかり、
夜一夜降り明かしつる雨の、今朝は止みて、
朝日いとけざやかにさし出でたるに、
前栽の露はこぼるばかりぬれかかりたるも、
いとをかし。
意味は、「旧暦9月(現在の9月下旬から11月上旬)頃、一晩振り明かした雨が、今朝は止んで、朝日が鮮やかにさし始めた頃に、庭先の草木の露がこぼれるほどびっしょりとぬれているのも、たいへん趣深い。」といったところです。
書かれたのは1000年前なのに、読み手が光景を鮮やかに思い描くことのできる名文だと思いました。枕草子に詳しくないのですが、宮廷で中宮定子のお側に仕え美しいものに囲まれて生活しているであろうに、草木を濡らす露にも美を見出すのが興味深いなと思いました。
展示にはありませんでしたが、この後の文章も面白いのです。
清少納言は、雨や露にまつわる自分が趣深いと感じる光景を書き連ねた後、
いみじうをかし、と言ひたることどもの、人の心には、つゆをかしからじと思ふこそ、またをかしけれ。
「たいそうおもしろい、なんて私が言っていることも、他の人には少しもおもしろくないのだろうな、と思うのがまたおもしろい。」
酒井順子さんは『枕草子REMIX』で清少納言の平安人ならぬ客観性について指摘されていましたが、この文章を最後に付けてしまうのが、清少納言らしさなのかな、とクスリとしてしまいました。
清少納言は優れた才能の持ち主ですが、あまり高位の貴族ではありません。
「他の人には少しもおもしろくないのだろうな」という表現からは、他の貴族(おそらく彼女より高位の方も想定している)がおもしろくないと思っても、自分はおもしろいと思うという、清少納言の自分の美意識への自信を感じました。