カルタ


今日7月15日は「盂蘭盆会」の日、または「中元」とされることが多いのですが、「ファミコンの日」でもあるそうです。

由来は1983年の今日、任天堂が家庭用ビデオゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売したからだそうです。

「ポケモンGO」から「骨牌」まで

任天堂といえば、現在同社初のスマホ用ゲーム「ポケモンGO(ゴー)」が米国などで爆発的な人気を呼び社会現象になっています。一時期、経営不振がささやかれた任天堂ですが、株価も急上昇しました。

さて、今でこそ「ファミコン」や「ポケモン」で世界的に有名な任天堂ですが、明治時代に京都市下京区で花札の製造を始めたのが会社の始まりです。カルタも製造しており、1951(昭和26)年任天堂骨牌株式会社に社名変更しました。

「骨牌」と書いて「カルタ」と読みます。字面だけ見るとちょっと怖い感じですね。

カルタの起源は中国・インドと言われており、14世紀末にヨーロッパで普及しました。

日本には室町時代後期にポルトガル人によってキリスト教や鉄砲とともにもたらされたため、ポルトガル語のCartaに由来する「カルタ」という呼び方が普及しました。

「かるた」から「花札」へ

Cartaは「天正かるた」「うんすんかるた」と呼ばれて大名や武士を始め広く庶民の間にも流行します。しかし賭博性が強いため、江戸幕府による禁止令が出されて江戸後期には姿を消しますが、その代わりに花札が草案されました。

かるたを作って生計を立てていた職人たちは、札の絵を棒や丸に置き換えるなど、デザインを巧みに変え、幕府の目をかいくぐります。 さらに新たな禁令がかけられると、また新しいかるたを作るというイタチごっこが繰り広げられたのです。そうして出来上がったのが「花札」です。

「かるた」から「百人一首かるた」へ

他にも「かるた」からは「絵合せかるた」「小倉百人一首」などの変種が生まれました。百人一首かるたが誕生したのは江戸時代初期です。当時かるたは貴族や大名など裕福な家柄の女性達によって愛好され見て楽しむもので豪華な百人一首かるたが製作されました。

尾形光琳も絢爛豪華なかるたを作成しており、近年未使用の「光琳かるた」が発見されたそうです。

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